オジー・オズボーンの自伝『アイ・アム・オジー』(筆者:オジー・オズボーン・クリス・エアーズ、翻訳:迫田はつみ、発行元:株式会社シンコーミュージック・エンタテインメント)を紹介したいと思います。
オジーが所属していたブラック・サバスとは
”サバスがなかったら俺達は存在してないよ
もちろんニルヴァーナもね”
~デイヴ・グロール(元ニルヴァーナ)~
※ニルヴァーナ(一番右端がデイブ・グロール)
ブラック・サバスは1960年代から約50年もの間活躍したイングランドのロックバンドです。ギタリストであるトニー・アイオミ、ベーシストのギーザー・バトラー、ドラマーのビル・ワード、そしてボーカルのオジー・オズボーンが初期のメンバーです。
私はブラック・サバスのことは、名前しか知りませんでした。イメージとしては、おどろおどろしくて、元祖ヘヴィメタの速弾き野郎たち。アメリカ人のデイブ・グロールが好きだと言っているのだから、アメリカのバンドだろうと思っていたのですが、違いました。
まず、ファーストアルバム『黒い安息日』(1970年)とセカンドの『パラノイド』(1970年)をyoutubeで聞いてみました。一聴してまず思ったのは、ボーカルが何と明るい声をしているんだろうということ。1971年ごろのライブ映像を見ても、笑顔が混じるオジーの明るい表情とヘッドハンギングに目が釘付けになります。サバスのほかの3人は見分けがつかないほどダークな雰囲気なのに、オジーだけ光っています。
※右から2番目がオジー
サバスで音楽的に惹かれたのは、やはりギターのリフとベースとドラムスのブルージーな乗り。速弾き野郎ではなく、しっかりブルースしていました。
オジーのボーカルは、メロディーラインが魅力的。『黒い安息日』の3曲目”N.I.B”のオジーのボーカルのサビ部分は、哀愁を帯びて、イタリアのオペラやフラメンコかと思ったほどです。ギターに合わせてときどき入る「オー、イエー」などの合いの手もおもしろい。それから、歌詞がはっきり耳に入ってきます。セカンドアルバム『パラノイド』に収録されている”ウォーピッグス”の「Nobody wants him He just stares at the world(誰も彼を求めない。彼はただ世界を見つめる。」という歌詞が耳について離れず、気になって歌詞の和訳を探しました。ロックを聞いていて歌詞が自然に耳に入ってくるのは、空耳ストのわたしにとって結構珍しいことです。
自伝『アイ アム オジー』
オジーに興味が湧いて、自伝『アイ アム オジー』(筆者:オジー・オズボーン・クリス・エアーズ、翻訳:迫田はつみ、発行元:株式会社シンコーミュージック・エンタテインメント)を読んでみました。分厚いハードカバーで2段組400ページ強。読み出したら、そのおもしろさに引き込まれ、夜中の3時、4時まで目を必死に開けて読み続けました。ユーモアあふれた文に笑いがこみ上げて何度も吹き出しました。
特に会話文が秀逸です。本当にこんなに愉快な会話をしていたのかと思うほど、マンガチックで漫才のような会話が続きます。
4人の出会いとバンド名
オジーが出したメンバー募集の広告にこたえて、初めにギーザー・バトラー、それからトニー・アイオミとビル・ワードがオジーのもとを訪れます。小さな町でこのメンバーがオジーの呼びかけで集まるのは奇跡だなと思います。たとえオジーが自前のPAシステムを持っているのがその理由だとしても。オジーが若き日の過ちで刑務所に入るときは罰金の支払いを拒んだ父親が、PAシステムには気前よくお金を出してくれたそうです。天文学的な価値を持つ投資ですね。
集まってバンドの名前を考えたときの会話です。
<トニー>「で、名前はどうする?」
<オジー>「2、3日かけて考えてみたらどうかな?お前たち二人(トニーとビル)はどうかわからないけど、こういう大事な話の時にアイディアをひねり出すために行く、特別な場所が俺にはあるんだ。これまで失敗した試しがない場所なんだぜ」
(48時間後)
<オジー>「出た!」
<ギーザー>「まだお前の緑色の吹き出物は出ないのかよ?」
<オジー>「違うよ。出てきたのはバンドの名前のアイディアだよ」
<トニー>「言ってみな」
<オジー>「あのさ、夕べ、トイレに入ってさ・・・・・・」
<ビル>「それがお前の特別な場所かよ?」
<オジー>「どこだと思ってたんだよ、ビル? バビロンの空中庭園とでも? それはともかく、トイレに腰を下ろして〇✖#$&%・・・・・・ザ・ポルカ・タルク・ブルーズ・バンドだよ。それが俺達の名前だ!」
<トニー>「誰かもっといいアイディアのある人?(沈黙)じゃ、決まりだな」
という具合に、オジーのお母さんが使っていたボディー・パウダー『ポルカ・タルク』にちなんだ名前に決まります。
トニー・アイオミが引き抜きにあう
名前はその後、「アース」に変わります。実力もつけ、人気も上がり、いよいよこれからというときに、トニー・アイオミは大物バンド、ジェスロ・タルに誘われます。
当時は、実力をつけたミュージシャンが上のクラスのバンドに引き抜かれて名声を得ていく、というのは当然あった道だったようです。本にも書かれていますが、ロバート・プラントは元ヤードバーズのジミー・ペイジに誘われ、自分の小さなバンドを離れて、やがてレッド・ツェッペリンを結成します。
レッド・ツェッペリン
オジーはトニー・アイオミのことをこう言っています。
「表向きは、私達にはバンド・リーダーはいなかったが、仲間内ではトニーがリーダーだと私達は思っていた。彼が一番年上で、一番背が高く、一番喧嘩も強くて、一番ハンサムで経験も豊か、何より最も才能に恵まれていた。」「私達はトニーがクラプトンやヘンドリックスと肩を並べる存在だ、とわかっていた。トニーなら彼らと対等にやれる。トニーこそが私達にとって成功への切符だったんだ。」
そのトニー・アイオミがジェスロ・タルへ去っていき、オジーたち3人は魂が抜けたようになります。トニーなしでは、工場勤務暮らしから抜け出せる道が閉ざされてしまったからです。でも、それは短期間でした。トニーはアースに戻って来ます。”ジェスロ・タロでは笑いがなかったから”というのがその理由です。泣けますね。この青春真っ盛りのエピソードはなかなかドラマティックで感動的です。
ランディ・ローズとの出会いと別れ
オジーはその後、アルコールやドラッグの問題などもあり、1979年にブラックサバスを首になります。ソロ活動するために行ったオーディションで、ランディ・ローズと運命的な出会いをします。ランディのおかげで、オジーは曲作りの面で自分が対等なパートナーだと初めて認められたと感じます。かっこいいのと同時に、紳士的で心優しい地に足のついたランディのおかげで、オジーはビートルズから受け継いだメロディーメーカーとしての資質を遺憾なく発揮していきます。
1981年のライブでランディと一緒に演奏するオジーの何と幸せそうなことか。出会いから1年半後、ランディが飛行機事故で亡くなってから、今に至るまで、オジーはランディのことを語るたびに涙を流します。自伝の献辞にはこう書かれています。
「ランディ・ローズ、安らかに眠れ。
お前のことは決して忘れはしない。
いつか、どこかで、再び相まみえんことを。」
何とこの人は愛にあふれた人なのかと深い感動を覚えます。
真実を見抜く道化師
オジーの人柄は、次の言葉からもよくわかります。
「私は反目や不和というものの存在を信じていない。誤解しないでくれ。私だって、人に対して怒りを抱くことはある。」「でも、彼らを憎んではいない。彼らが酷い目に逢えばいい、とも思ってはいない。人を憎むことは時間と労力の無駄だと認識しているんだ。結局、憎しみから何が得られるというんだ? 何も得られるものはないだろ? 」「もし誰かに腹を立てたなら、そいつらを馬鹿呼ばわりして嫌な思いは吐き出し、過去のことにしてしまえばいいと思うんだよ。私達がこの地上で過ごす時間はそう長くはないんだからさ。」
この寛容さ、心の広さ、愛の深さはたとえようもないです。この言葉を聖人ではないオジーが言うからこそ、より深みが増すのだと思います。自伝を読んでいると、あまりに率直に語られる次々起こる出来事、行動に唖然とし、自然に笑いが出てきます。小さいころから道化師として世の中を渡ってきたオジーだからこそ、真実を見抜く力を天才的に持っているのだと思います。
補足:トニー・アイオミの自伝もあるよ
トニー・アイオミの自伝も出ています。残念ながら現在は絶版のようで、中古で結構な値段がついていてためらわれるのですが、簡潔でわかりやすい言葉で交友関係などが綴られているようです。